桑都
八王子織物の誕生
淺川を渡れば、富士の影清く、桑の都に青嵐吹く 平安末期に西行法師が諸国巡幸の際に八王子で詠んだと伝えられるように、 既にその頃この地域で蚕が飼われ織物が織られていたと思われ、古くから「桑の都」と称されてきました。
1100年の鼓動、
桑都に紡がれる伝統と革新
桑都の綾を映す高尾の霊気
織 世代を超える紡ぐデザイン
機音が織りなす発想と技術
淺川を渡れば、富士の影清く、桑の都に青嵐吹く 平安末期に西行法師が諸国巡幸の際に八王子で詠んだと伝えられるように、 既にその頃この地域で蚕が飼われ織物が織られていたと思われ、古くから「桑の都」と称されてきました。
「いい味」の織物は、五感を研ぎ澄ました油断のない精神状態から生まれます。
職人は困難に思われる開発においても膨大な知識と経験を生かし理想の織上がりを追い求めます。
八王子織物の「萌芽」を示す記録文書は一一〇〇年前の平安時代の延喜七年(九〇七年)の国の延喜式に生糸・布が八王子の属する武蔵国に産すると明示されている。
さらに天正一八年(一五九〇年)出版の武蔵風土記に商取引の「市」である紬座の事や寛永四年(一六二七年)の「毛吹草」には滝山紬、横山縞紬が記されています。生糸は「絹の道」を通り横浜まで運ばれました。
幾多の時代を超えて今もこの地に機械の
音が鳴るのは一時の流行や利益と浮足立たず誠実に
織物と向き合ってきた証です。
日々鍛錬、研究された成果をもとに
その技術を着実に高めています。
織物は、糸の素材・色・密度に加え
無限の織組織によって表現が広がります。
「多摩織」等の着物で培われた技術が
クリエーターの発想を具現化し
時代の感性を導く織物を生み出します。
大正デモクラシーを背景として始まった八王子のネクタイは、伝統に支えられた技と最新鋭織機の積極的な導入によって、現在でも国内生産の大きなシェアを占めています。
ネクタイ
桑、繭、植物など多摩の自然を題材にしたスカーフ・ストール等の製品は、ネクタイ同様デザイン・品質ともに国内外から高く評価され、国内有数の産地として発展しています。
スカーフ
広幅の服地やインテリア製品の製造は当産地でも早い時期から、高速織機、最新鋭準備機の積極的な導入に取り組んで来ました。
織物
多摩織は昭和55年国(当時通産省)より指定された手工芸品を中心とした八王子織物の製品の一つです。
伝統的工芸品 多摩織