理事長挨拶

八王子織物工業組合 第20代理事長 樫﨑 亮一

古より八王子織物は、ミシュラン三ッ星で有名になった「高尾山」を凌ぐ八王子のシンボルと言われました。奈良時代の万葉集の古歌に「多摩川に 晒す手づくり さらさらに 何ぞこの娘の ここだかなしき」と詠われております、八王子織物の「萌芽」を示す記録は1100年前の平安時代の延喜7年(907年)の延喜式文書に生糸・布が武蔵国に産するとあります。

さらに天正18年(1590年)出版の武蔵風土記に商取引の「市」である紬座の事や江戸時代の1627年の「毛吹草」には滝山紬、横山縞紬が記されています。
八王子織物工業組合の創立は明治32年(1899年)であり、歴史は120年を数え、経済産業大臣指定の伝統的工芸品「多摩織」の産地でもあります。戦後、時代変遷の中で生活様式も変わり、「多摩結城」「紋ウール着尺」などの和装製品から、インテリア、服地、ネクタイ、マフラー、ストール等の洋装製品に生産軸を移してまいりました。

現在は源流「多摩織」の伝統技術に加え、最新鋭の技術を駆使したドビー・ジャガードの先染織物を中心に国内外のファッションクリエーターから注目され、20余の大学を擁する「若者の街」八王子は東京のテキスタイル産地として健在であります。ものづくりは技術の伝承とともに「心」の伝承にほかなりません。日本、東京そして八王子のものづくりに拘りながら、次代に歴史・技術と心を伝えてまいります。益々のご支援、ご愛顧をお願い申し上げます。

歴史・伝統

延喜7年(907年)
延喜式文書に八王子の属する「武蔵」国に生糸を産する記述あり。
天正18年(1590年)
豊臣秀吉の将、前田利家に攻められ八王子城落城。現八王子の地に城下町を移す。
寛永4年(1627年)
松江重頼著「毛吹草」に武蔵国の産として滝山紬、横山紬の名があげあられる。
享保17年(1732年)
「万金産業袋」に上田縞、八王子平(袴地)の名あり。
寛政6年(1794年)
市日制度発生、織物取引の端緒につく。
明治6年(1873年)
生糸製造取締令公布。
明治7年(1874年)
縞仲買人により八王子駅織物会所設立申請。
明治13年(1880年)
明治天皇、東海・東山二道ご巡幸、親しく各種織物及び生糸をご覧になる。
明治14年(1881年)
神奈川・郡馬・埼玉・栃木の4県連合共進会を八王子に開設。
明治19年(1886年)
織物会所が八王子織物組合と改称。
明治20年(1887年)
八王子織物染色講習所(現都立八王子桑志高校)創立。ドビー、ジャカード購入。
明治26年(1893年)
三多摩郡が神奈川県より、東京府に編入。
明治28年(1895年)
黒八丈、博多平、武蔵平、糸織、市楽織、絽織など製造。
明治29年(1896年)
絹紡糸使用始まる。富国織好評を博す。
明治32年(1899年)
八王子織物同業組合創立。組合員3,900名 手織機11,300台
明治38年(1905年)
お召研究会、絽織、高貴織が盛んになる。
明治41年(1908年)
第1回八王子織物染織品競技品評会開催。生産量100万点突破。
明治43年(1910年)
電動力の供給開始。力織機使用始まる。
大正4年(1915年)
一部に婦人もの研究始まる。
大正5年(1916年)
市場廃止。取引は買継商店舗に移る。
大正6年(1917年)
八王子市制施行。
大正11年(1922年)
第1回婦人もの求評会。多角生産に第一歩。
大正12年(1923年)
関東大震災。新繊維ベンベルグを取り入れる。
大正13年(1924年)
ネクタイ試作に成功、新分野開拓。
昭和2年(1927年)
東京府立染織試験場、現(地独)東京都立産業技術センター開設。
昭和4年(1929年)
特産正絹お召を多摩結城と称す。
昭和7年(1932年)
輸出織物研究始まる。
昭和9年(1934年)
八王子輸出織物工業組合設立。
昭和14年(1939年)
原糸配給統制となる。
昭和16年(1941年)
太平洋戦争勃発。
昭和18年(1943年)
戦力増強の為、設備織機の2/3を供出。
昭和20年(1945年)
敗戦、空襲により残存設備の半数をさらに消失。
昭和22年(1947年)
戦災復興資金導入。
昭和24年(1949年)
着尺加比丹(カピタン)が好評を博す。
昭和25年(1950年)
織物消費税廃止。組合共同施設として整理工場(旧事業センター)設備。
昭和26年(1951年)
統制撤廃。美多満お召創作。マフラーが新商品として登場。
昭和27年(1952年)
優美お召創られ部会活動活発となる。ネクタイ交織部門開発。
昭和29年(1954年)
繊維貿易館落成。未曾有の買継商倒産旋風。
昭和31年(1956年)
全国織物競技大会初優勝。ネクタイ合繊分野に進出。生産全国の6割を占める。
昭和32年(1957年)
紋ウールが登場し市場を席巻する。
昭和33年(1958年)
八王子織物工業組合に組織変更。
昭和39年(1964年)
男物製品復興の波に乗る。東京オリンピック開催。
昭和45年(1970年)
生産額約275億円を記録。インテリア商品開発。
昭和47年(1972年)
東京、大阪、京都、名古屋各地織物競技会で完全優勝。
昭和48年(1973年)
オイルショックによる狂乱物価。
昭和52年(1977年)
大手糸商、買継商倒産続き、業者の影響少なからず。
昭和53年(1978年)
円高騰。東京全国織物競技大会で7年連続優勝。
昭和55年(1980年)
多摩織が伝統的工芸品の指定を受ける。
昭和55年(1980年)
柄の会、趣味の会、優美会を統合して女物部会として新たに発足する。
昭和56年(1981年)
機守神社白滝姫尊像を当組合より大善寺に遷座する。翌年新堂宇が竣工し、落慶法要。
昭和57年(1982年)
時代の要請に基づき、第一回服地と洋装雑貨織物展を銀座で開く。
昭和58年(1983年)
先染めネクタイの需要が増大し、業界が活気づく。
昭和59年(1984年)
組合創立85周年統一テーマとして、「ファッショナブル・ザ・八王子」を打ち出す。
昭和60年(1985年)
八王子繊維貿易館創立30周年を迎える。
平成元年(1989年)
高度化事業として「産地ビジョン」を策定。
平成4年(1992年)
3年度に渡る東京都地場産業等構造高度化対策事業に着手する。
平成5年(1993年)
和装開発プロジェクトチームの開発した「織遊衣(きもの)」が話題を呼ぶ。
平成6年(1994年)
開発商品の大型展示会を東京青山で開催。
平成10年(1998年)
産地ブランド「マルベリーシティ」を商標登録。
平成11年(1999年)
組合創立100周年「八王子織物工業組合百年史」発刊。
平成12年(2000年)
登録商標マルベリーシティネクタイ制作を開始。
平成15年(2003年)
八王子織物総合展を江戸開府400年記念事業として実施。
平成18年(2006年)
八王子市制90周年記念として「八王子織物総合展」を実施。
平成22年(2010年)
産学共同事業開始。
平成25年(2013年)
事業センター(織物整理)、約60年の歴史に幕、閉鎖する。
平成27年(2015年)
第1回マルベリーシティ「ネクタイデザインコンペ」開催。
平成28年(2016年)
2020オリンピック・パラリンピック旗のレプリカ制作。
平成30年(2018年)
第1回組合員懇談会を京王プラザホテル八王子にて開催。
令和元年(2019年)
組合創立120周年記念式典及び記念史の発行。
令和2年(2020年)
伝統的工芸品多摩織が日本遺産の構成項目として認定される。
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